Time is money

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大学院を半年で辞めて、ベンチャーに来た理由

 

こんにちは!

このブログもちゃんとした更新は久々になります。

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今年の4月に大学院に入学し、夢だった研究生活が本格的にスタートしました。

しかし、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、半年も経たない8月末日に同大学院を自主退学し、今はdelyというベンチャーでエンジニアとして働いています。

この決断ができたことは、本当に自分でもビックリしています。

今回、ブログに書こうと思ったのは、この意思決定に至った決意を文字に起こして、もし弱気になった時に読み返そうと思ったのと、もし共感してくれる方がいらっしゃったら、一緒に働こうよ!って思うからです。自分を発信することは大切だと思っています。

 

0. 自己紹介

軽く自己紹介します。たどれば、すぐ個人情報につながりますが、色々伏せます。

某都内私立大学の化学系学科を出て、同大学の大学院に進学しました。専攻は生物化学で、大腸菌を用いた有用物質生産の研究をしていました。なので、現職のITエンジニアとは全く異なっていて、プログラミングはアルバイトを通して学びました。詳しくは下記をご覧ください。

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1. 悩んだ学部時代

高校生の時、生物の授業で、自身も将来患う可能性の高い疾患の治療薬が、元々はべらぼうに高かったけど、大腸菌を遺伝子操作することで安価に大量生産することに成功したということを知りました。元々、生き物がすごく好きで、化学も好きだったことから、生物系の研究室がある化学系の学部に進学することを決めました。

大学入学後は、実験とレポートの毎日で大変でしたが、サークルに馴染めなかったので、長期休みの時は暇を持て余していました。塾講や遊園地のスタッフなど、バイトはしていましたが、どこかやり込めない気がしていて、退屈な日々を過ごしていました。

そんな大学1年の春休み前に出会ったのがプログラミングでした。初めは、壁を感じ、向いてないかもと思う場面も多かったのですが、メンターに恵まれ、環境にも恵まれ、学部時代は、実験・レポートをいち早く終わらせ、駅のホームを駆け上がって帰り、パソコンと向きあっていました。電車のつり革につかまっていても、エラーの原因を考えたり、気がついたら朝日が昇り始めていたこともありました。仲間にも恵まれ、自分でwebアプリを出して、多くのユーザーに使ってもらえて、プログラミングの可能性も実感していました。

いくらプログラミングにのめりこんでも、アルバイトとしてのエンジニア、趣味としてのプログラミングであると思っていて、学業を最優先と考えて行動していたし、テスト前は勉強に全力でした。大学4年になり、研究室に配属されると、研究が第一と考え、プログラミングは続けていても、土日にアルバイトを少しやる程度でした。

しかし、研究室に配属になった当初は、自分で運営していたwebアプリも伸び始めていて、プログラミングに時間を割く時も少しあり、どっちつかずな日々が続いていました。その頃から、将来やりたいことはプログラミングなのか、研究なのか、はっきりしてなく、時間だけが過ぎていきました。いつかは決断しなければならないとわかっていても、今はどっちにも全力!でいればいいと思っていたし、正直将来を考える余裕がないくらい、どっちも本気で取り組んでいました。研究室に時間を使うのは9割でしたが。

 

2. エンジニアとして生きようと決めた

エンジニアとして生きるか、研究者として生きるのか、決断を後回しにしつつ、時は流れ、大学院に進学しました。化学系の学部にしたのは研究職を目指そうと思っていたので、大学院進学は当たり前だと思っていたし、今でも後悔はないです。まず、将来を具体的に考えるようになったきっかけは、インターンでした。今年は6月が解禁で、同期でもちらほら話題に上がっていたので、自分も色々調べていました。理系の研究職志望であれば、大方、企業の研究職を考えると思うのですが、自分は博士課程進学も念頭に置きつつ、考え始めました。大学院になると、研究も本格化し、それ以外にも役職が回ってきたり、時間をとられることが多く、将来を考えるまとまった時間が取れずにいました。少ない時間の中で、色々調べて、インターンの申し込みをするのですが、正直に、心の底から行きたいと思う企業がありませんでした。そんな、インターンを探す段階では何もわからないのだから、やってみて決めた方がいいよと先輩にもアドバイスをもらったのですが、正直、自分が研究者として働いている姿が想像できませんでした。いや、待てよ。考えすぎだ。実際にやったこともないんだからしょうがないじゃないかと自分を説得し、日々過ごしていました。

選択の幅は広い方がいいと思ったので、化学系のインターンを探すのと並行して、IT系も調べていました。7月ごろ、多くの人がインターンの選考に通過していき、自分の将来の方向性をある程度定めていきました。学科の同期は、化学系が圧倒的でしたが。この頃になって、正直焦っていました。エンジニアなのか、研究職なのか、はっきりせい!と。じゃないと、どんどん差がついていくぞと。自分が二択で迷っている中、自分の方向性を決めて突っ走った方が、費やす時間は多いはずです。

正直、どっちも魅力的でした。どっちもかっこよかった。今使っているMACも、さっき使った歯ブラシも、洗濯用洗剤も、今つけているテレビも、すべて科学の進歩がもたらしてくれた恩恵です。偉大な先人たちが研究を繰り返し、未知の探求の末に発展していきた技術は世の中を豊かにしてきました。その一端を担う研究職に憧れていました。かといって、近年目まぐるしい進展をしてきたのはインターネットであり、生活に欠かすことができないインフラとなりました。新しいことをどんどん取り入れ、革新的なアイデアを形にし続けるエンジニアにスマートを感じていたし、これからの可能性を強く確信していました。

 

そんな中、意思決定の方法について調べていたところ、Ruth Chang氏のTEDに行き着きました。


Ruth Chang: How to make hard choices

エンジニアか、研究者か、難しい決断を迫られた時、人はついメリット・デメリットで優劣をつけてしまいがちです。ですが、難しい決断の場合、どっちにもメリット・デメリットが少なからずあって、議論は平行線をたどります。彼女が言うには、そういう難しい決断を迫られた時、どっちにもメリット・デメリットがあるのだから、優劣を考えるのではなく、自分がその選択に適応すればいい。自分の内部から、理由を見つければいい。つまり、答えは自分の中にあるんだと。この動画を見て、優劣を決めるのはやめて、自分が何をすべきかではなく、自分は何がしたいのか、考えるようになりました。

 

もう二つ、将来の決断をするにあたり、大切にした考え方があります。それは、自分が将来何を成し遂げたいのかゴールを設定して、職業を手段とすること。そして、埋没 (サンク)コストです。

まず、自分と似たような境遇で、ベンチャーに就職した方に話をお聞きする機会がありました。その時、自分の中でストンっと落ちたのは、将来何をしたいのかゴールを設定して、そこに辿り着くまでの最短と思われる選択をすべきで、悩むことも多いと思うけど、最後は自分の直感でえいやっと決めてしまう。決めてから、頑張ればいい。という考え方でした。じゃぁ、自分は何がしたいのか。ゴールはどこなのか。小さい頃から、誰かに感謝してもらえることがすごく嬉しかった。物も金も欲しくないし、偉くなりたいとも思わない。すごく単純ですが、ただ、誰かの役に立ちたいと思いました。そのために何をすべきか。エンジニアリングなのか研究なのか。どっちも他人の役に立つことだと思います。しかし、実際にやってみて研究は実際に社会に反映されるまでものすごく時間がかかる。はたまた、事情によっては必ずしも自分がやっていることが世の中に出ないこともありうる。一方、エンジニアリングは、すぐさま世の中に反映させることができて、インパクトも大きい。その分、アタるかアタらないかはタイミングと運が大きくて、失敗のリスクも高い。この時点では、決着はつきませんでした。

そこで、行き着いたのがサンクコストです。具体的には、今までかけてきたコストに注目してしまい、それに基づいた決断をとってしまいがちなことを言います。理解し間違ってたらすみません。例えば、UFOキャッチャーで1,000円使っても取れなくて、今やめてしまったら、その1,000円はドブに捨てることになるし、後ちょっとやったら取れるかもしれない、よしゃやったるで!という状態かなと思います。自分に当てはめると、学部時代の4年、化学を専門に勉強してきたし、大学院にも進んだのだから、就職は化学系でしょ。という状態であると思います。確かに、その費やしてきた時間とお金は大きいし、ここでの方向転換はリスクが高いです。しかし、だからといって、そのまま進むべきなのかと考え始めました。いや、まだまだ人生は長いだろうと。今からでも、充分方向転換は可能だから、自分のやりたいことを一生懸命やろう、そうに思いました。このサンクコストは無意識に考えがちだったので、知った時は目からウロコでした。

 

ここまで書いてきて、最後にエンジニアになろうと思ったのは、直感です。無鉄砲に決めたのではなく、悩んで悩んで悩んだ末に、ふと「エンジニアになりたい」と思いました。どっちも同じようにやりがいがあって、ゴールも同じ。でも、自分に向いているのはエンジニアなのかなと思いました。プログラミングもやってみて、研究に関しては触りの触り、始まってもいないかもしれませんが、その一端を体験してみたからこそ、この決断になったのかなと思います。

 

 3. なぜ、大学院を半年で辞めてしまったのか

エンジニアになろうと決めたものの、大学院を卒業はしようと思いました。新卒としてIT企業に入ればいいし、担当していた研究もやっと光が見えてきていたので、修士論文でまとめたいと思っていました。それでは、なぜ大学院を半年で自主退学してしまったのか。究極の保守的な性格である自分でもビックリしています。結論から言うと、タイミングだと思います。エンジニアになろうと思ったのは、今年の8月の頭です。その数日後に、1年前くらいから知り合いだった、delyで人事をしている方とお会いする機会がありました。その人とは、複雑な縁で知り合っていて、ちょっとお茶をして話した程度だったのですが、超有名外資系に就職していったのにも関わらず、一年もしないうちにdelyというベンチャーに転職していたので、その意思決定について聞きたいと思い、会うことにしました。元々、delyのことは知っていたましたが、今のdelyがやっているKURASHIRUについて、熱く語ってくれました。研究室に入って1年半、忘れていたかもしれない、ワクワクが蘇ってくるようでした。ですが、究極的な慎重派な自分にとって、自主退学することは絶対にないと思っていたのですが、今のdelyの成長スピード、そして、自分が得意としている部分がちょうどdelyにはかけていることを考えると、"今"しかないと直感しました。大学院を卒業してからでは、絶対に遅いし、本当にこのタイミングしか、今の自分が加わって、力を発揮できないと感じました。物ごと、全てタイミングだと思います。本当は結ばれていたかもしれない縁も、タイミング次第では上手くいかないこともあると思います。このタイミング、チャンスを逃せば、いつもの自分だ、あーだこーだ理由付けして行動に移さない、いつもの自分だと思いました。その人に会った日に、delyに加わること、そのために大学院を辞めることを決断しました。

エンジニアなら、できるエンジニアの下で働きたいと思うし、その方が技術的に伸びると思います。今の段階でメンターがいない環境は、ある意味危険な賭けかもしれません。しかし、自分はdelyを支える柱になりたい、KURASHIRUを通じて、たくさんの人に最高のユーザー体験を届けたい、そうに思いました。この決断に後悔はありません。ただ、毎日直向きに前に進むだけだと思います。

 

4. 最後に

最後に、自分だけではこの決断に至ることは到底不可能でした。

ITのことはよくわかってないけど、応援してくれた家族。

一番の理解者であり、背中を押してくれた彼女。

今まで教えてくれたアルバイト先の社長。

突然辞めて、たくさんのご迷惑をおかけしたのにも関わらず、エールと共に送り出してくれた研究室の方々。

本当に沢山の方々に支えられていたと感じました。読んでくれているかはわかりませんが、本当にありがとうございました。

日進月歩を座右の銘に、インプットを怠ることなく、懸命に精進します。

 

delyは僕も含め、全員が本当にいいサービスを創ることに一生懸命です。エンジニア・デザイナーだけではなく、全ての業種で一緒に戦ってくれる仲間を探しています。

 

このエントリーを見て、共感してくれた方、ぜひお茶に行きましょう!!!

では、また!!!