ソーサルのエンジニアを辞めてから思う3つのこと
こんにちは!
寒さが増してきて、布団が恋しくなる季節がやってきました。
最近、Twitterをやめたりと"辞めた"という事が多いのですが、ソーサルのエンジニアを辞めました (正確には辞める意向をメンバーに伝えました)。共同創設者としてソーサルを開発していたので、少し名残惜しいのですが、前向きな決断なので、前を向いて進むしかないです。辞めてから思う、これまで積もってきたことを将来の自分のために文字に起こしておこうと思います。
ソーサルを「始めた理由」と「辞める理由」
ソーサルを始めた理由は、ブログに書きましたので、そちらをご覧ください。
エンジニアとしてある程度できるようになり、自分の培ってきたものを誰かの役に立てて、自分も成長したい。そう思い、一歩を踏み出しました。
ソーサルのエンジニアを辞めようと思ったのは、自分勝手ながら、学生生活に集中したいと思ったからです。
ソーサルのリリースから、常に、学生としての自分とエンジニアとして自分の狭間で、もがき苦しんでいました。エンジニア一人でwebサービスを立ち上げるのは極めて時間と労力がいります。自分を正当化したいというわけではありませんが、データベース設計から、Railsアプリ構築、テストも書き、本番サーバーをOSの再インストールから構築、ステージングサイトの構築、SSL認証の発行、迷惑メール対策…やるべきことは湯水のようにありました。リリース後も、ユーザーの動向合わせた機能追加・変更が必要です。学生としては、平日は文系の方から見たら引いてしまうくらいの時間を研究室で過ごし、土日は論文を読み…こちらもやらなければならないことがてんこ盛りです。そして、これら、いくら時間を使っても金銭的な利益はでません。お金が欲しいわけでは決してありませんが、貧乏学生、アルバイトをしないと生きていけないので、空いた時間でバイト…?そんな生活を半年以上続けて、その過酷さから自分が自分で無くなって、心の余裕が持てなくなりました。
僕は学部卒業後、修士課程に進みます。同級生は皆、社会で羽ばたいていったなかで、修士課程に進む自分には、目標もなくやり過ごすだけの2年ではなく、充実したものにするためには何が必要なのか。そのためには、学生生活に専念すべきなのではと考えるようになりました。
ようやく、一つの決断をすることができました。
1. 時間は限られている
時間的な制約ができたことで、より時間は限られてるということを実感しました。
平日は全て研究室での生活、土日はゼミの用意やアルバイト。。。
本気になればなるほど、時間は無くなっていきました。
そんな中、僕の一番近くにいる人にこんなことを言われました。
本気で研究者になりたいと思っている人は、あなたがプログラミングをしている時、きっと論文を読んだり、自分の研究のことを必死に考えてる。
本気でエンジニアになりたいと思っている人は、あなたが研究室にいる時、ずっと自分のコードと向き合って、ユーザーの事を考えてる。
自分のなりたい姿を明確にできている人は、必死になって努力してます。周りをみてもそうです。だからと言って、自分が本気ではないということではないです。ですが、きっと一つのことに夢中な人ほど、自分のなりたい姿に徐々に近づいているんだと思います。学生とエンジニアの狭間で、中途半端であった自分にとって、上記の言葉は胸に突き刺さるものでした。これは自論ですが、利害に関係なく、本当に自分のことを思って放たれた言葉は、よく咀嚼して考えるべきだと思います。
また、メンバーの一人にも力強い言葉をもらいました。
考えることは、自分の人生に本気になっている証拠。
自分はひとりだけだし、時間も限られてるし、人生は一回だから、後悔しない選択をすべき。逃げてるのか、決断してるのか、自分でも不安になるときはたくさんある。でもその答えが分かるのも自分でしかなくて、誰も私の人生に責任なんて負ってくれないから、他人からどう見られようと自分の思う選択をするしかない。
私はただ、毎日が幸せで、自分の野望に近づける最善の選択をしようとだけ心がけてる。
この言葉の中で、本当に考えされられたのは、
「誰も自分の人生に責任なんて負ってくれない」
ということです。人生は決断の連続で、それは他でもない自分しかできない。しかも、その選択の殆どは結果でしか是非が判断できない。その中で出来ることは、後悔しない選択。そう思いました。
話が飛びましたが、限られた時間の中で、自分ができることは目の前の事に、必死に夢中になることだと思いました。
2. ソーサル開発を通して学んだ事
ソーサルの共同設立者、唯一のエンジニアとして感じたことは、
「プログラミングは、不特定多数の誰かに小さな幸せを届けることができる」
ということです。そして、自分たちが信じて行動していれば、きっと誰かに届いて、サービス、そして自分たちが成長していく。それを身を持って体験できたのは、これからのエンジニアとしての自分に大きな糧になると思います。
そして、もう一つ痛感したことは、何かを誰かと始める時には、自分がいなくなる時の事も想定しなければならないということです。これは、初めから悲観的になれというわけでは、決してないです。エンジニアが自分一人の時、webサービスとしての進捗は、ほぼそのエンジニアに依存します。誰かの時間をもらうこと、それがどれほどの責任を負うのか。再度考えさせられました。
3. 地味なエンジニアに戻る
"地味なエンジニア"は
この記事から借用しました。Kazuhiro Serizawaさん、本当にすみません。
地味なエンジニア、ジミーズというわけではありません。日の目を見ることは置いておいて、目の前のことに集中するということです。そうすれば、おのずとエンジニアとして成長することができるということだと僕は解釈しました。
ユーザーがいて、注目されるwebサービスのエンジニアからは離れますが、それでも僕は
「エンジニアで在り続けたい」
です。そのために、アルバイトとしてプログラミングを続けたいと思います。それを続けたら、何か見えてくるものがあると信じています。これは、誰かのためにコードを書くということではなく、自分の勉強のためです。誰かのために、コードを書くということ、そのもの自体は優しさではまったくないです。プロジェクトが打ち切りになったり、完全に引き継いだり、最後まで続けないのであれば、どんだけコードを書いても、お金をもらっていなくても、褒められたものではありません。
一人でエンジニアを続けるなら、それは全て自分の責任だと思います。
最後に
ソーサルは自分がエンジニアであったか否かに関わらず、他のサービスと同じように素晴らしいサービスだと思います。見ず知らずの人たちと、フットサルを通して友達になって、自然と笑顔が生まれる。素敵だと思います。本気で。
そのエンジニアとして、立ち上げに貢献できたことは本当に幸せでした。