Time is money

日常のこと、web関連、映画の感想について書いていきます

Twitterをやめて気付かされた3つのこと

こんにちは。

食欲、運動、読書、プログラミング。

秋が深まる。そんな気分です。

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さて、大方の人にはどうでもいいことですが、Twitterをやめました。

アカウントも削除したので、完全にやめた形です。

そのことについて、つらつら書いていくので、お時間のある方はお読みください。

 全て、僕の見解なので、ご容赦ください。

 

0. Twitterをやめた理由

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ただ、単純にメリット・デメリットを考えた時にデメリットの方が多いなと感じたからです。メリットを挙げると、情報収集、情報拡散、新しい出会い、承認欲求の満足などでしょうか。デメリットを挙げると、SNS疲れ、情報収集過多、時間の浪費などでしょうか。昨年の今頃は、フォロワーもフォローも100人程度で自分の身の回りの人とのコミュニケーションという役割で使っていたのですが、今年は自分のプロダクトの告知や交友関係を広げようと思って活動した結果、フォローもフォロワーもかなり増えました。その結果、デメリットの方が強く感じるようになってしまいました。

アカウントを残して、ほとぼりが冷めてから再開するという選択肢もあったのですが、僕の性分、ついついアクセスしてしまうw

やはり、

Twitterは最強のSNSである」

を言わざるを得ません。なので、いっそのことアカウントも削除しちゃえ!ってなりました。

総じて、僕がSNSとの上手い付き合い方ができなかったんだと思います。

 

1. 余裕が増えた

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論理的には説明できないのですが、生活に余裕が持てるようになりました。SNSでの過度のコミュニケーションがなくなったからでしょうか。話をしたこともなく、顔を見たこともなく、まして本名すら知らない方々とのコミュニケーションが当たり前になりすぎて、考え方が麻痺していました。

生活に余裕が持てたら、単純に時間が増えました。多分、全盛期はSNSに最低1時間を使っていたと思います。そう考えると、背筋が凍りました。

最近では、映画を観に行ったり、アルバイトにコミットできたり、何かと心の余裕が生まれてきたと思っています。また、電車やちょっとした空き時間などついつい開いてしまっていたので、その時間は何かを考えたり、気になっていることを検索して調べたりする時間になりました。あと、よく眠れるようになりました (笑)。

 

2. 本当に大切なことに集中できる

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余裕が増えたことにつながるのですが、本当に大切な物事人にフォーカスできるようになりました。僕の事をよく知っている人は、前はできていたと言ってくれるのですが、Twitterに夢中だった時は、「何をツイートしたら沢山リアクションもらえるかなー」とか「情報に遅れないようにしよう」とか「即レスこそ至極」など常日頃考えたり、SNSに挙げるためだけに写真を撮ったりしていたのですが、どうも自分には向かなかったみたいです。

Twitterは楽しいし、フォロワーの方も励ましてくれたり、何かとプラスになることが多かったのですが、やはり大切なのはオフラインなんだと思いました。今日は気持ちい陽気だとか、あれこれに感動したとか、このことは大切だと思うとか、共感を多に求めるよりか、自分の中でしっかり咀嚼して、還元していけばいいと思えるようになりました。Twitterでは日々、価値観の共有が起きていると思います。しかも、価値観の押し付け、に近い。インターネットの特性を考えば、それらはごく普通のことだと思いますが、それに晒され過ぎるのは精神衛生的に良くないと思いました。

 

3. Twitterが無くても地球は回っている

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当たり前です。前途したように、Twitterは今現在も最強に近いSNSです。情報収集や情報拡散に優れ、承認欲求を満たしてくれ、暇つぶしになります。やっていて楽しいです。でも、それが無くても生活は続きます。今の自分にそれが必要かを良く考えて、必要ないなら思い切って、生活から引き算してもいいのではと思いました。

 

つらつらと述べてきました。

確実に言えることは、TwitterFacebookInstagramなど、強いSNSを適切に使うことができれば、生活は必ず豊かになります。

最近、SNS疲れに悩む方がこの記事を読んでくれていたら、思い切って後先考えずに切ってみるのもアリなのではと思います。自分の本当に大切なことに最大限に集中できるようになるかも知れません。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 何かご連絡ある方は、Facebookまで!

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ソーサルを開発しようと思い立った理由 - 一歩を踏み出すということ

こんにちは!

肌寒さと静けさを感じる季節となりました。

様々な秋の過ごし方があると思いますが、どのようにお過ごしでしょうか。

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久しぶりの記事ですが、なぜソーサルをエンジニアとして開発したのかをつらつらと書いていきたいと思います。

この記事の本筋は回想でも主張でも、日々思っている大事なことでもありません。

エンジニアのリクルートです。笑

もう、無理!って方はここで断念くださいm(__)m

 

0. 自己紹介

初めましての方も多いと思います。

ソーサルという、「フットサルをもっと身近に」をコンセプトにしたwebサービスのエンジニアをしている奥原と申します。

sosal.me

簡単にいうと、"みんなでフットサルしようぜ!"です。笑

今は公式企画者がフットサルを企画して、時間や場所が合う方が参加するという形となっています。

先日、ユーザー数が2,000人を突破しました!

ソーサルは沢山の笑顔につながるサービスだと思っています。

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僕はこのwebサービスの共同創設者、エンジニアとして参加しています。

 

1. 今後のソーサルに圧倒的に足りないもの

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 あくまで、エンジニア視点です。

今後のソーサルに圧倒的に足りないもの、それは「エンジニア力」です。

ソーサル自体は、そこまで難しい技術を使っているわけではありません。なので、ここで言うエンジニア力とは、技術的な難度の高いエンジニアリングというよりも、開発リソースという意味が近いです。

今のソーサルは、僕がそのほとんどを開発していています。デザインやフロント以外、ほぼ全てです。バックエンドやサーバー設置、ドメイン設定、メールの送受信等です。現状、僕一人で開発はできることはできるのですが、ユーザー数も伸び、サービスとして肥大化していく今後を踏まえると、これを学生である僕一人で回すことは不可能になりつつあります。だからこそ、今の段階でエンジニアが必要です。

しかし、これをエンジニアの知り合いに

「ソーサル、今エンジニア不足なんだよねー><。手伝ってよ!」

というのはダメだと思います。僕はただ単にエンジニア力が欲しいのではありません。一緒にサービス開発する"仲間"が欲しいからです。エンジニアは技術力として見られがちですが、一人の人です。重く受け取られてしまうかもしれませんが、チーム開発は、まずは人として信頼できるのか、が重要だと思います。一緒にやるからこそ、なぜ僕がソーサルのエンジニアをしているのかを知って欲しいと思い、記事に起こそうと思いました。この記事を読んで、共感していただける方がいらっしゃれば幸いです。

 

2. 僕がソーサルを開発しようと思い立った理由

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ソーサルを開発しようと決めた理由は、僕がエンジニアをしている理由と同じです。

「プログラミングを通して、沢山の人に小さな幸せを届けたい」

から、僕はエンジニアをしています。僕はエンジニアとして技術力があるわけでは決してないです。社会人エンジニアの方、学生でもできるエンジニアの方から見たら、塵に等しいです。ですが、自分ができるかぎりの時間でコードを書いて、できることを増やしています。

僕がプログラミングを始めた理由は、ものすごくありきたりで、「何か新しいことを始めたい」という動機からです。その時、買った参考書が今アルバイトをさせてもらっているwebアプリ開発会社 (https://rubyquitous.co.jp/)の社長の著書でした。このことは、以前書いた記事が詳しいです。お時間のある方は一読ください。

okutaku.hatenablog.com

僕はアルバイトをする傍ら、自分でもアプリを作っています。始めは知り合いのチームに所属していたのですが、人間関係でソリが合わず、サービスが完成した時期に解散せざるを得ませんでした。その次は勉強のためと思い、今自分に欠けている技術を重点とするサービスを開発しましたが、誰にも使われることはありませんでした。その中でも、ゆくゆくはサービス開発をしてみたいと思い、大学とアルバイト以外の時間、技術力を伸ばしてきました。そして、去年の冬に、ソーサルの代表をしている二人に会いました。学生エンジニアという肩書きのため、よく学生起業家の方や自分でサービスを開発したいという方にお話させていただくのですが、なぜかしっくりくるものがありませんでした。しかし、ソーサルの原案を聞いた時だけは、やってみようかなと瞬時に思いました。長らく、なぜあの時、すぐに開発しようと思ったのか自分でもわからなかったのですが、先日この記事をみて得心がいきました。

kazuph.hateblo.jp

"自分と同じくらいコストを支払ってくれる"と直感的に感じたからこそ、チームを組もうと思ったのでした。人間であれば、誰しもが楽をしたいと思います。自分のコストは最小限にして最大の利益が欲しい。当たり前です。しかし、僕がプログラミングを学ぶ過程、そしてエンジニアとしてのサービス開発は違います。莫大な時間が必要です。全てのヒトに平等に与えられた時間の多くを払わなければ、良いプロダクトはできません。泥臭さが必要です。その泥臭さ、地道な作業を共にできなければ、この場合、チームとして成立しません。この二人なら、必ずやってくれそうだ。熱意に共感したからこそ、僕はソーサルを開発しようと思ったのです。現に今は僕よりもソーサルにコストを割いています。僕の直感は間違いではありませんでした。

そして、ソーサルを開発しようと思い立った理由は他にもあります。それは、

「一歩を踏み出さなければ、何も始まらない」

と常に意識しているからです。プログラミングを始めて、ここまで来れたのは、今のアルバイト先に送った一通のメールからでした。この話も長くなるので、オフラインで話しましょう。社長曰く、メールをくれる学生なんて滅多にいないそうです。その一通があったからこそ、今の自分があります。ソーサルを開発してから、多くの方と知り合うきっかけになり、人脈も少なからず広がりました。そして、実際に使われるサービスを学生時代に作れる機会にも恵まれました。これも、一歩を踏み出したからです。アルバイト先で受託開発をしていると、サービス開発は一筋縄ではいかないし、多くの時間がかかることもわかっていました。小さなアプリを設計するのも一苦労です。ましてや、一人でこなすのは厳しいと言わざるを得ません。そのリスクも考えましたが、やってみよう!と一歩を踏み出し、良かったと思っています。

 

3.  共感したエンジニアの方へ

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本題です。笑

短いですが、ここまで自分がサービス開発で思うことを書きました。

残念ながら、開発をするとなると僕とのコミュニケーションを避けられません。

だからこそ、一緒の想いを持つ方と開発したいと思っています。

実際には、僕と共同して開発していくことになります。

ソーサルは、自分の書いたコードが実際のユーザーに使われる経験を直に感じることができるサービスだと思います。

様々な経験ができる他、腕試しにもなると強く思います。

 

もし、少しでも共感して、ソーサルを開発してみたいと思う方がいらっしゃいましたら、ご一報をください!

お茶しましょう!

※ ちなみに、ソーサルはRuby on Railsで記述されています。

 

ご連絡は、TwitterあるいはFacebookでお願いします!

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「ソーサル」のエンジニアが考える、webサービス開発における"チーム"とは

寝苦しい熱帯夜の続く季節となりました。

キンキンに冷えたアイスコーヒーが、暑くて萎えてしまう気持ちにアクセントを加えてくれる気がします。

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今年の少ない夏休みは色々なことにチャレンジしたいものです。

久しぶりの投稿になりますが、今回はwebサービス開発における"チーム"について書きたいと思います。

「そんなこたぁ、わっかとるわ!」って方もどうぞお聴きください。

所々、一部の方に不快に思う表現があるかと思いますが、そこは目をつむってくださいませ。

 

チームで失敗した経験

私は、今「ソーサル」という、皆で楽しくフットサルができるwebサービスの運営でエンジニアをしています。

sosal.me

ソーサルについては、先日"まとめ"ていただきました!

matome.naver.jp

今のソーサルのチームに至る前に、苦い体験をしました。まずは、そのことについて書きたいと思います。

プログラミングを学び始めた頃、あるCEO的存在の学生、デザイナーの社会人の方、そしてエンジニアの私の3人でアプリ開発をしていました。そのCEOの方とは、とある縁があったのですが、初めから性格的に苦手意識がありました。しかし、チームでの開発は楽しかったので、そのままエンジニアとして活動を続けていきました。キュレーションに関するwebアプリを開発していたのですが、それが思うようにいかず、最後にはコンセプトレベルで方向転換することになりました。今まで開発してきた分を全て捨てて、再開発すること、その内容も私があまり関与できずに決まってしまいました。そこで、開発コストに関する議論になり、私はエンジニアの意見を無しにすぐにコンセプトレベルの方向転換、仕様変更に耐えることができませんでした。なぜなら、私はただ単に仕様ができたら、コーディングするような都合の良いエンジニアではないからです。エンジニアにも意志があります。それを無に帰すチームに、居場所を感じれなくなり、酷い仲たがいの末、チームを去ることにしました。暴言が飛び交い、弁護士を立てることにも話が進み、精神的にもかなり疲弊し、かなり苦い体験でした。

しかし、この体験があったからこそ、次に自分が所属するチームを正しく選ぶための基準ができたのだと思います。

 

webサービス開発における"チーム"とは

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私は先の苦い体験から、次なるチームは自分の意志で決めようと思い、何度か話を持ちかけていただいたのですが渋っていました。

web界隈では、起業意識が高い方が多いです。起業するために、プロダクトを作る。そのことに興味があまりなく 、そのためにコードを書いてる自分が想像できませんでした。このことは、後の項で書きたいと思います。

そんな中、2014年の終わりに今のソーサル代表の二人、「りょうぽん」と「ひとぽん」と会い、ソーサルの原案を聞きました。何よりも彼らの熱意とプロダクトへの想いに共感して、その日に開発を決意しました。あの時の決断は間違いではなかったのではないかと、今ソーサルを運営して思います。

当初、三人で始まったソーサルですが、すぐにデザイナーの「のぞみん」、営業・宴会部長の「しぶしぶ」が加わり、その後にエンジニアの「きのぴー」、そして企画運営の「とっきー」が加わり、今では7名となりました。( https://sosal.me/company )

もうリリースから5ヶ月近く経ち、先日ユーザー数も1,000名を超え、Fリーガー中井健介選手(ペスカドーラ町田所属)とのコラボ企画、大分県、福岡県、大阪府など全国での企画も催されるようになり、さらなる盛り上がりを見せています。

ここから本題となりますが、ここまでソーサルというwebサービスをエンジニアとして運営してみて、webサービス開発における"チーム"について再考します。これは、なぜ僕がソーサルでエンジニアをしているのかということにつながると思います。

僕の考える"チーム"とは、

「チームとしての力量総計が、個人の力量の積となりうる集団」

だと思います。すごく曖昧な定義をして、理系学生として心苦しいのですが、これでいきます笑

言いたいことは、そのチームに自分の持ってる全てを注げるか否かということです。僕自身、ソーサルのようなwebサービスを開発することは初めてでした。プログラミングのアルバイトをしているため、チームでの開発などは経験してきたのですが、ユーザーが実際に使ってくれるwebアプリを個人で開発することは初めての体験でした。結果的に、僕のエンジニアとして幅や技術が広がったと胸を張って言えます。実際にwebサービスを一人でローンチまで持っていくことは中々に難しいし、自己満だけで終わりの誰にも使われることがないようなアプリを生み続けてるだけでは気がつかなったことの連続です。チーム開発の末端のアルバイトとしてではなく、個人としてアプリを開発することは、言わば、全て自由です。自分の思うように設計できます。だからこそ、難しいんだということが痛いほどわかりました。一つの設計のミスがシステム全体へと波及していく経験や、一つのコマンドのミスがサーバーを停止させてしまう経験は自分でやってみないとわかりません。その意味で、多くの経験をして"成長"していると思います。ゆえに、上記で定義したチームとは、自分が全力を出して、伸びしろを広げ、大きく成長できる環境でもあると思います。

だからこそ、チームでやることの意義があるんだと思います。

 

エンジニアは"一人のチームメンバー"である

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web業界において、エンジニアはしばしば軽視される役職です。

これは上に立つ者、共に仕事をしていく者が誰かに強く依存すると思うのですが.webサービスの代表や営業が注目を浴びるのは致し方ないことです。

ただ、エンジニアをしている身としては、「エンジニアこそ原動力」だということを主張します。ですが、だからと言って、エンジニアは神様だとか、エンジニアを優遇するとかそういう話ではないです。エンジニアも一人のメンバーであって、等しく全力を出せばいいと僕は思います。エンジニア個人の都合だとかにペコペコするのではなく。エンジニアだろうと何だろうと、チームは個人の集合体であって、自分の役割を認識して、全力で力を注ぐことを全員が意識できた時、いいチームなんだと思います。中二チックになりました。すみません。

だからこそ、一緒に仕事をするエンジニアを選ぶべきであるし、エンジニアも一緒に仕事をする人選ぶべきだと思います。誰でもいいってことでは決してないです。

 

一人でできることは限られてる

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もう一つ言いたいことは、一人でできることは限られているからこそ、チームであるべきだということです。これは否定的な意見では決してありません。webサービスを作り上げるまでは一端のエンジニアで、それなりの技量があり、そんなに重くないものであればできます。しかし、作り上げたからと言って、使われるかというと決してそうではありません。使われるためには、地道で泥臭くいなければなりません。詳しい言及はさけますが、到底エンジニア一人でこなせるものではありません。全ての技術は社会に還元されてこそ価値が生まれると思います。そのためにチームがあるのではないでしょうか。一人一人が自分の役割の仕事を最大化させることで良いものができる。そう思いたいです。

 

エンジニアである意義とは

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web業界にいると、よくわからない関係が構築されることが多く、一つアプリを出しただけで、「すごい」とか「頑張って、応援してる!」という無味乾燥な 言葉が飛び交います。(中には本当に暖かい言葉あります。本当にありがとうございます。)自己満で終わってもいいなら別として、エンジニアはこの言葉を真 に受けては危険だと毎度感じます。公開してゴールではなく、そこからが本当の勝負だと思います。このご時世、様々なサービスが開発され世に出て、優れた巨 人たちが当たり前のごとく素晴らしいサービスを作り上げています。そのサービスと同じ土俵で戦うことは極めて難しいことです。ユーザーの目は肥えている し、高い操作性・デザイン性が求められます。それらが満足されなければ、自然淘汰されます。エンジニアにとって、ユーザーは残酷です。こちらの意図は決し て届きません。だけど、だからこそやりがいがあると僕は思います。僕は技術もなければ、経験も浅はかなものです。だからこそ、死にもの狂いでやって、ユー ザーに実際に使ってもらって、ソーサルで言えば来ていただいた方に「ありがとう、楽しかった。また来たいです!」と言ってもらえる。発言を改め、ユーザーは正直です。意図はなかなか伝わらなくても、想いは届きます。だからこそ、僕は作り手、エンジニアをしているんだと日々感じています。

幼き頃から、パソコンを分解するほどコンピューターが好きだったとか、プログラミングを生業としているなどではない、大学生から、ちょっとした好奇心でプログラミングを始めて、その魅力に気が付いたからこそ、辿り付いた現状の答えです。

 

これからエンジニアを志す人、すでにかじっている人へ

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上記のよく分からない理由から、エンジニアはチームにいるべきです。全く説得力がなくて申し訳ないのですが、エンジニアではない人とチームを組むことで気づかされることが多いです。本当に。そして、いるチームは念入りに選ぶべきで、合わないチームはそこで学べること・成長の余地がないと判断したら出るべきだと思います。義理も何もありません。無鉄砲なことは言えませんが、生活がかかっている等の理由を除き、僕のような学生であれば、その時間を限りなく自分のために使ったほうがいいと思います。変な提案すみませんでした。

僕の目が節穴なだけかもしれませんが、ITが進んでいるはずの東京ですら、(ちゃんと開発できる)エンジニアは少ないです。しかしながら、プログラミング教育は近年、本当に熱いです。これから、どんどんできるエンジニアが出てくると思いますが、自らがリード・エンジニアとなって、どんどん新しいwebサービスが出てきたら、かなり面白くなると感じています。この記事を見て、何か作ってみたい!と思った方、プログラミングを始めましょう。今からです。

 

長々と暑っ苦しく、支離滅裂でしたが、読んでいただきありがとうございます。

 

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【保存版】 フィフィ、大島美幸の出産VTR批判に「日本社会の問題だよ」

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初めに

すごく、心に刺さった記事だったので、全文をそのままシェアします。

全文

6月22日、森三中大島美幸が、待望の第一子となる長男・笑福(えふ)くんを出産した。そして自らの出産の様子を、CCDカメラの付いたヘルメットを被 り撮影。7月5日には、その映像が『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)で放送された。しかし、この出産シーン放映を巡っては、感動したとの声も あがる一方、“出産シーンをテレビで放映するのは、産むことのできない女性への配慮が足りない”といったクレームも寄せられ、ネットで話題に。フィフィは 何を感じたの?
 まず、最近ではよく「テレビ離れ」とか言われていますが、そんななかでの今回の炎上。なんだかんだで、テレビ見ている人はいるんだな~って思いましたよ。

 今回の件では、大きく3つの問題点があると思います。

 ひとつめは、クレーマーという存在の実体と、クレーマーを過剰に取り上げ過ぎる風潮。だいたい日本人は、クレーマーの存在に過敏になり過ぎているよね。 今回の件に関しても、産むことのできない女性への配慮が足りないって批判するクレーマーは、産むことのできない女性の代表であるかのような立場をとってい るけど、産むことのできない女性全員がそう思ってるわけじゃない。あくまでも“私”はそう思っているってだけなわけ。

 それは、たとえばジャポニカ学習帳で「私は虫が嫌いだから表紙に持ってこないでよ、花だったらいいけど」というのと一緒。虫の“見た目”が気持ち悪いっ ていうのは、あくまでその人の価値観なのに。それなのに、こうしたクレームが通ってしまうと、表紙は花ばかりになっちゃう。本来、子どもにとって昆虫は不 思議な生物で、すごく勉強になるはずなのに、大人の価値観のせいで、その探究心を奪ってしまうことにも繋がってしまうんです。

 だから、私的な価値観の押し付けによるクレーマーに、いちいち耳を傾けるのはどうかと思うよ。同時に、こうしたクレーマーの意見を取り上げ、炎上って騒ぐメディアのあり方も問題なんだよね。

 日本人の多くはサイレントマジョリティであって、基本的にサイレントだから、そうした構造のなかではどうしても、クレームとして声をあげた人の意見が世 間の代表のように見えてしまうんだよね。今回の大島さんのこともそう。ほんの一部でしかないクレーマーの声を大きく取り上げ過ぎ。そして、それをみんなが 大きく受け取り過ぎ。

 

ふたつめは、クレームを入れた人たちの意識の問題。今回の件も、産むことのできない女性が可哀想ってクレームを入れているわけだけど、可哀想って思うこと 自体がそもそも相手を憐れんでいるってことなんだよね。そして問題なのは、そういったクレーマーたちは、自分が相手を憐れむ意識をはらんでいるということ に気付いていないこと。

 たとえ子どもを産むことができなくても、ベビーシッターをしたり、他人の子どもを可愛がったりしている人たちは、私の周りにもいっぱいいる。彼女たちは、自分たちに配慮して欲しいなんて押し付けはしないよ。

 子どもを産むことのできない女性には”配慮しなきゃならない”と思っているクレーマーたちの意識そのもの、憐れみの感情そのものが根本的に間違っているんだよね。

 そして最後に、出産シーンを流すか流さないかという問題。これは、いまテレビが面白くなくなっているっていう問題とも関わるんだけど、今回の件のよう に、いちいち敏感に反応し過ぎてしまうと、表現を狭めたり制限してしまうことにもなって、ますます感動するものや面白いものを作れなくなってしまう。今回 の件を考えるときに忘れてはならないポイントは、これは大島さんなりの表現であったというところ。『イッテQ!』という番組のなかで、これまでずっとヘル メットを被って色々とやってきた大変なこと、その延長線上での出産なわけ。それが彼女のスタイルであって、キャラクターなの。

 何を売りにするのか、どこまで出すのかは芸能人によってそれぞれ違っていて、ある人は家を出す、ある人は出さない、私は出産シーンを出さないけど、大島 さんは出す、それだけの話。実際、世間のほとんどは、出産の話を聞いて、いいんじゃない? って思うんじゃないのかな。そもそも、自慢したくて放送したよ うには見えなかったよ。

 それを今回みたいに批判し始めてしまうと、お正月の葉書に子どもの写真を載せたり、結婚や出産の報告をSNS上でするのも気持ち悪いってことにもなっ ちゃうよ。人が幸せを報告することを、心地良く受け取れない人間が一部にはいるかもしれないけど、世の中のほとんどは喜びを分かち合える。それこそ、今回 のケースはテレビなんだから見たくなきゃ、見なきゃいい。

 いずれにせよ結婚して、妊活を頑張って、やっと出産した人を、結果的に批判しましたよね。人の幸せを最後は突き落としてしまう社会、これって問題だよ。

 むかし、大島さんとは番組企画“パンスト弁慶”でパンストを一緒に頭からかぶって引っ張りあった仲です。ブスだの何だのと言われても、大島さんは今後も 彼女のスタイルで、体を張りながらやっていくだろうし、お子さんもその姿を見ればきっとリスペクトすると思うよ。だから、大島さんにはどんどん頑張って やっていってほしいな。

出典: 週刊女性PRIME 7月12日(日)15時0分配信  

《文・構成/岸沙織》

ソーサルでフットサルデビューしてみませんか!? - ソーサル・エンジニアの奥原が、実はソーサルがフットサルデビューだった件

こんにちは!

暑さと共に湿気も加わり、日本らしい夏がやってこようとしています。

最近、僕の中で「Momentum」という、Chrome拡張機能がトレンドです。

これは、Chromeで新しいタブを開くと、その日の美しい写真を届けてくれるというサービスです。これがその写真の一つです。

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 さて、僕がエンジニアとして加わっている「ソーサル」で、なぜかブログブームが起きているので、それに便乗して書きたいと思います笑

実は僕、ソーサルを創るまで、フットサルしたことなかったんです

中学・高校と卓球少年だった僕には、ラケットを使った球技はある程度できたのですが、サッカーとか足を使った球技はてんでダメでした。

そんな僕がソーサルでフットサルデビューしたって話です。もうここまででうんざりよ!って方もどうぞお付き合いください。

1. フットサルとは

まず、僕、フットサルとはってこともあいまいでした。

なので、去年の冬に代表の2人から「フットサルのwebサービスを創りたい」って言われた時もピンときてませんでした。

で、家に帰ってまずは。。。

「フットサル とは」グーグルせんせー!!!

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だ、そうです笑

 

2. ソーサルとは

じゃぁ、「ソーサル」ってなんなの?

ソーサルは「好きな時間、好きな場所、好きな仲間とフットサル」を目的とした、誰もがフットサルを身近に感じることができるwebサービスです。そう、webサイトです。

sosal.me

ソーサルでは、自分の好きな時間に企画をする、あるいは誰かの企画に参加することで、気軽に楽しくフットサルできます!

こんな感じです!

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で、ソーサルは変な大人たちが運営しているのではなく、フットサルをこよなく愛する彼らで運営しています。

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ちなみに、一番左の眼がほそーいやつが私です。

3. ソーサルでフットサルデビュー!

ここからが本題です。

ソーサルはフットサルデビューするのに最適なのでは!って話です。

僕は前途したように、足を使った球技に苦手意識があって、好んでする方でもなかったです。フットサルサークルにも入ってなければ、自分でフットサルのスクールなどに行く勇気もいまだにありません。そんな僕にフットサルの楽しさを教えてくれたのが、他でもない「ソーサル」でした。

「え、でもソーサルって経験者が多くて、初心者が入りにくいんでしょ?」

確かに、ソーサルの運営メンバーもほとんどが経験者です。

しかし、ソーサルはフットサルを楽しむためにあります。

だから、ソーサルに来てくれる皆がフットサルを楽しむために来ています。そのため、初心者にもすごく優しいです。パスを出してくれたり、チャンスを演出してくれたりします。フットサルが終わったあとは、もっと上手くなりたいって思えます!僕が証明です。僕が企画しているIT界隈のフットサル (企画は名前だけでどなたでも来てほしいです!)は、僕が不安ながらも立てた企画でした。その企画も、もう4回も行われ、一回の企画で40人弱の方が来てくれました!

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初めての方とお会いしてフットサルを通して、友達になる。本当に楽しい時間でした。もちろん、この企画でフットサルデビューをした方も何人もいます。

ソーサルで初めてフットサルをして思ったのは、

"フットサルは楽しむためのスポーツ"

だってことです。

もちろん、ワールドカップもあるほど、白熱した世界的なスポーツなのですが、本当に身近なスポーツなんだと思いました。

・大学生になって運動をめっきりしなくなった。

・社会人になって学生時代のコミュニティを失ってピッタリな時間の機会がなく、なかなか運動することができない。

・週に一回は運動したい。

・高校生だけど、文系の部活だったり、運動部だけど違うスポーツをしてみたい。

・新しい友達を作りたい。

・スポーツを楽しんで、スポーツで汗を流したい。

そして、「フットサルを楽しみたい」すべての方にソーサルをオススメしたいです。

ソーサルの運営メンバーはもちろん、参加してくださるすべての方々でソーサルは成り立っていて、皆で「フットサルやりたい全ての人が楽しめる場所」を創っていきたいです!

 

最後になりますが、少しでも興味を持ってくださいましたら、是非「ソーサル」に登録して、一緒にフットサルしましょう!

フットサルをしたことない方は、ソーサルでフットサルデビューしてみてはいかがでしょうか!

sosal.me

 

いつでも質問してください!

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プログラミングは誰かの人生を変え、多くの人に幸せを届ける

こんにちは。

夜の雨音が静かで心地いい季節ですね。

この季節は雨の日を楽しむようにしてます。

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先日、ReLife (http://bb-relife.jp/)という起業家インタビューサイトで、今話題のプログラミング学習サイト「Progate」の記事を拝見しました。それがこちらです。

bb-relife.jp

加藤將倫さん、村井謙太さんには直接面識はないのですが、記事のタイトル、「プログラミングは人生を変える」と内容にしびれたので、触発されて、この記事を書いています。

「プログラミングは誰かの人生を変える」と「プログラミングは多くの人に幸せを届ける」ということを軸に書いていきたいと思いますが、脱線したらすみません。笑

また、大それたタイトルをつけてしまったことを、ここでお詫びいたします。

 

プログラミングは誰かの人生を変える

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「誰か」とは、他でもない、あなたです。そして、その一人に僕がいます。僕もプログラミングを知って人生が変わったと思っている一人です。そのことについて書きます。

大学1年の終わりにプログラミングと出会いました。

僕は元々、なんの自慢もない人間でした。ただ、何かに熱中したり、馬力とか根性だけはあると自負していました。大学1年の終わり、周りの学生はサークル、アルバイト、留学など、輝かしい大学生活を謳歌してる中で、僕は何も熱中できることがなく、ただ実験やレポート(専攻は応用化学)に追われる日々を過ごしていました。そんなモラトリアムの中、何となく新しいことを始めたいと思った時、手に取ったのが今のアルバイト先の社長の著書で、ひょんな事からエンジニアとして雇われました。これが僕のプログラミングとの出会いで、エンジニアとしての始まりです。

エンジニアのアルバイトを2年ほど続けてきましたが、プログラミングを始めたころは、本当に全く何もわからない状態でした。これが何に使われて、誰の役に立つのか、プログラミングを勉強する楽しさなんて抱けませんでした。プログラミングを勉強することは、わけのわかないものを学んでいるのと同じで苦痛を感じていた時もあります。

そんな中で、プログラミングの楽しさに気がついたのは「自分のアイデアをプロダクトとして作り上げた時」です。初めに紹介した記事の中で加藤さんは「一つのものを作り上げること」が成功体験となることについて触れています。webに落ちているチュートリアルをやるなり、参考書に従って一つのアプリを作るなり、なんでもいいのですが、一つの実際に動くアプリを作ることは自分の成功体験として心に残ります。しかし、僕はそれでは自分の中での感動を呼び覚ますには弱いと思っています。こう言うと、むっとする方もいると思いますので、ここで謝罪します。すみません。少なくとも、僕は参考書のサンプルアプリを動かしただけでは、なんの感動も受けませんでした。「で…?」と感じた僕は、自分の頭の中にあった、これあったら皆の生活が豊かになるんじゃないか?というアプリを作り出しました。四苦八苦し、全然思い描くものはできなかったのですが、初めてサーバーからメールを飛ばせた時、徹夜でサーバーを構築して初めて取ったドメイン(~.comみたいなもの)で自分のアプリが動き出したとき、初めて身内じゃない人がユーザー登録してくれた時、本当に感動しました。webの可能性を実体験した瞬間です。今思えば、全く大したものを作ったわけではないのですが、本当にすごく感動したことを覚えています。そこから僕はサービス開発を通して、プログラミングが大好きになりました。プログラミングを学ぶということは極めて能動的です。誰かが強制してきて、勝手に意義が付与された義務教育ではありません。自分から学んでいかなれば誰も教えてはくれませんし、実力もつきません。そのためには、自分がプログラミングをして何でもいいから、アイデアを形にして動かしたという感動が必要だと思います。話が脱線しましたが、プログラミングは僕にとって熱中するに十分なほど面白いものになり、良い意味でドはまりしました。

生きていく上で、人生に変化がないことは決してないです。進学や就職、転勤など環境が変われば人生も変わっていきます。なので、かなりの偏見ですが、僕はすべての人がプログラミングを学んで、理解できる社会などいらないと思っています。本当にプログラミングが好きで、言語を作ったり、OSを作ったり、はたまたwebサービススマホアプリを作ることが人生の生き甲斐だと感じる人がプログラマ、エンジニアをすればいいと思っています。当たり前ですが、プログラミングには向き不向きがあります。しかし、それと一度チャレンジすることは大きく違います。少しでも興味があるなら、プログラミングは難しい、理系脳じゃないとできない、闇が深そう、暗い感じがするなどの障壁に臆することなくチャレンジしてみてください。webサービスを自由に設計して、思い描いたものを作り出すことは本当に楽しいです。これはどれだけ言っても、実体験ででしか伝わらないと思います。

 

プログラミングは多くの人に幸せを届ける

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この写真は僕がエンジニアとしてジョインしている「フットサルをもっと身近に」をコンセプトにした「ソーサル」というwebサービスで、実際にフットサルをした時の写真です。

sosal.me

普段は10~20人程度の規模で企画をしているのですが、この写真はソーサルカップ (https://sosal.me/blogs/sosalcup_3rd_report)といって大人数でフットサルをしようということを目的とした大会のようなものです。

なぜ、この写真を紹介したのか。それは、プログラミングが誰かに幸せを届けるためのツールだと思っているからです。「ソーサル」の最終的な目的はフットサルをすることです。そこにwebサービスである必要性はありません。既存のコミュニティー、仲間内を辿っていけば、どうにかフットサルをすることができると思います。自分でコートを予約してTwitterなどで呼びかければ、実際にフットサルができると思います。しかし、ソーサルがwebサービスとして機能しているのは、プログラミングが運営者であるソーサルのメンバーの負担を少しでも軽減し、ソーシャルと連携することで、そのリーチ数を伸ばすことができ、フットサルをするという目的を達成する可能性を最大化させるためだと考えています。そう考えるとプログラミングはフットサルをするという目的を達成するためのツールでしかありません。

これまでに多くの方がソーサルに参加してくださいました。僕が本当に感動したのは、ソーサルに参加してくれた方が「楽しかった。ありがとう。また参加するね!」と言ってくれたことです。本当に感動しました。「ただフットサルしただけでしょ?」と思われる方もいると思いますが、プログラミングというソースコードの塊を通して、オフラインで実際に初対面の方とフットサルをして、「ありがとう」と言ってもらえる。これ以上に嬉しいことはありません。また、ソーサルに参加してくれた方の中には、地元では仲間とフットサルをしていたけど、上京してコミュニティーを失って、なかなかフットサルをすることができずに困っていたところで「ソーサル」を知ってくださり、実際に参加してくれた方がいます。その方から頂いた「こういう場を作ってくれてありがとう」という言葉は本当に嬉しかったです。「ソーサル」には新しいフットサルの形として、誰もがフットサルを楽しめる環境を作りたいという夢があります。少しずつですが、その環境を作りだせているのではと感じています。プログラミングはwebサービスという一つの形を通して、多くの人に幸せを届けることができる最高のツールです。あとはしっかりとした実力をつけ、それをどうに利用するか、ではないでしょうか。

 

長々と書いてしまいましたが、このブログを読んで少しでもプログラミングに興味を持ってくれて、参考書なり、プログラミング学習サイトをやり始めてくれる方が増えてくれたら幸いです。

最後にエンジニアに少しでも興味がある方へ、恐れ多いのですが、2年と少しエンジニアをしてきて思うことを書きます。

僕はエンジニアをしていく過程で3つのことを大事にしています。

まず、「師を仰ぐこと」です。独学では多くの場合、限界がきます。僕は大学1年の終わりからプログラミングを始めた、この業界の上層からしたらかなり遅いスタートです。より早くプログラミングを上達させるためには、良き師に出会い、その技術を貪欲に吸収していくことが近道ではないでしょうか。

次に、「コードと真摯に向き合うこと」です。昨今、数ヶ月でエンジニアになれるなどのうたい文句が流れていますが、残念ながら多くの場合、一朝一夕でエンジニアになることは困難です。どこまでをエンジニアと呼ぶかの問題かと思いますが、僕の思うエンジニアは自分で全てを構築できる者です。その場合、本当に多くの知識を身につけ、場数を踏むことが重要です。そのためにはそれなりの期間がいります。その中で、真摯にコードに向き合うこと、第一とは言いませんが、電車のつり革につかまっている時でさえ、コードについて考え、皆が遊びに走る中でも、できる限り多くの時間、コードを書き続ける姿勢が大事なのではないでしょうか。

最後に、「創り続けること」です。元々プログラミングにあまり興味がなかった僕の場合、技術を身につけるための勉強は困難を極めました。何か目的を持って勉強することで本当に多くのことを学べた気がします。この機能を作るためには、どのような技術が必要か。それを追求することで、少しずつ、一つずつできることの幅が広がります。そのためには、創り続けることがとても大切だと感じました。

 

エンジニアは決して辛い職業ではありません。最高にクリエイティブで、世界をより良い方向に動かす実行者です。日本のIT業界では経営者が注目されがちですが、真にプロダクトを押し進めているのは、他でもないエンジニアではないでしょうか。そう考えると、エンジニアは本当にやりがいのある職業だと思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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